12月23日 爆報!THE フライデー【あの人は今…大追跡&残された妻SP】まとめ

爆報!THE フライデー【あの人は今…大追跡&残された妻SP】の内容をまとめてみました。

 

<M C> 爆笑問題  <スペシャルゲストMC>田原俊彦 <レギュラー出演者> アンガールズ オリエンタルラジオ 友近<アシスタント> 吉田明世(TBSアナウンサー) <出演者>テリー伊藤 平成ノブシコブシ うつみ宮土理 小林尊 江戸真樹

 

 

 

大食い界のプリンス 小林尊 アメリカン・ドリームをゲット!

小林さんは現在ブルックリン在住 現在38歳 

2010年から拠点をアメリカに変更してフードファイターとして活動

2LDKの家賃35万のマンションで生活 フィギアの高橋大輔さん等が遊びに来ことも。

 

何故こんな優雅な暮らしが出来るのかというと、

アメリカでフードファイトは立派なスポーツ

小林さんはマイケルジョーダンベイブルースに並ぶアスリートとしてアメリカ人に評価されている。

年間4ヶ月がファイトシーズンで、オフシーズンの食事量は人並みとの事。

 

2010年7月4日

小林尊アメリカで逮捕 一体何が!?

大会主催者側の契約内容があまりに厳しかったので出場契約をせず、出場を見送って見学をしていた。

しかし小林さんはファンに煽られ無断でステージに上がる。

これに怒った主催者側が警察に通報、不法侵入と公務執行妨害の現行犯で逮捕されてしまう。

 

この時小林のファンとして現場に来ていた土屋アンナさんに似のマギーさん(現在39歳)が、当時親しい友人等も居なかった小林の為に警察に多数回にわたる抗議や談判を

行い無事釈放。

そんなマギーさんは現在の小林さんの彼女であり、マネージャーをしていると事。

 

 

愛川欽也を亡くしたうつみ宮土理は無事に元気を取り戻す!

1978年に結婚した二人。

2005年理想の夫婦の賞パートナーオブザイヤーにも輝く。

2015年4月肺がんの為愛川欽也が死去しその後うつみ宮土理は表舞台から姿を消した。

 

それから1年半彼女は現在どのような生活を送っているのか?

 

現在うつみは週に2度のマンツーマン筋力トレーニングを行い、

愛川欽也が建てた中目黒の稽古場で歌のレッスン等を行っている。

 

しかし、死亡した当時は食事も喉に通らなかったとの事。

そんなうちみを立ち直らせたのは、タンスの中に残されていた一枚のラブレター。

 

その内容とは、「ケロンパの素晴らしいところは前向きで明るい所 名前のとおり何があってもケロっとしている所 僕はそんな元気なあなたが好きです。」

これを見たうつみ宮土理は私がメソメソしていたら欣也が悲しむと思い、元気を取り戻したとの事。

 

今は英会話やコンサートに向けたリハーサルの真最中。

 

江戸真樹 45歳バツ3 80年代の伝説のCM美女 家賃17,000円和歌山で団地生活を送っている。

当時ライオンのCMオーディションで7万人の中からグランプリに輝きCMデビュー。

しかし半年で芸能界を引退した後は全く情報がなかったが、本日テレビ初公開。

 

現在は和歌山県白浜町に子供4人4人の孫がいる団地で生活している。

仕事は時給830円で週5日ウィトレスをしている。

 

長女はバツ2らしく、江戸真樹さんの現在の夢は4女をアイドルにすること。

 

 

 

元プロ野球選手 横浜大洋ホエールズ盛田幸妃 死から1年 闘病過程を語る

脳腫瘍発症 再発3回 転移12箇所 全身骨折12箇所

 

 

盛田さんは横浜大洋ホエールズ時代にWストッパーと呼ばれたピッチャー 

年俸9,000万円

しかし、結婚からわずか3年恐ろしい病を発症。

 

事の始まりは、ある夜盛田さんのと寝ていると、右足が大きな痙攣を引き起こす

異変を察した倫子(ともこ)さんは盛田さんと一緒に病院へ。

そこでゴルボール大の脳腫瘍が発覚。

腫瘍切除の為頭部を開き12時間に及ぶ手術を成功させる。

 

しかし、右手は思うように動かず、自暴自棄になり自ら右手を傷つけてたり、

「死にたい」、「死ねる薬をくれ」とも言っていた。

 

結婚する時に何があっても「泣かない」と決めていた倫子さんの献身的な介護と、7ヶ月のリハビリを経て盛田さんは再びマウンドに!

ファンからは「奇跡のリリーバー」と呼ばれた。

 当時盛田さんは「精神的に嫁さんにキツイ思いをさせた。頑張りたいですね。」とも語っていた。

 

プロ復帰から3年後の2005年引退 

そして、盛田さん35歳の時に再び悪夢が訪れる

 

腫瘍が再発症し、再び手術をして辛いリハビリを行うも「再々発」

そして手術をするも3度目の再発。

その後手術をするも、腫瘍が骨に転移しカルシウムが溶け出し骨折しやすくなる身体になってしまう。

 

寝ているだけで左腕を骨折する事もあり、

骨を金属で補強してどんどん自分の骨がなくなっていく。

 

その後も倫子さんは献身的な介護を続けていくも、内蔵にまで腫瘍が転移。

医師からも「手の施しようがない」と宣告される。

その時、泣かないと決めて闘病生活を寄り添ってきた倫子さはだったが、結婚依頼初めて泣いた。

 

そして、2015年享年45歳でこの世を去る。

 

盛田さんの死後、遺品の中から1冊のノートが。

そこには倫子さんと新たな人生を歩む為の計画、「居酒屋の開店計画 」が綴られており、ノートの末尾には「大変とは大きく変わるチャンスがあるという事」と手記されていた。

 

 

現在倫子さんは医療費を工面する為一軒家を売って引っ越したマンションで一人で暮らし、生活費を稼ぐため銀座の寿司屋で週に4日終電まで働いている。

 

そして今の夢は「パラリンピックで夫のように頑張るアスリートのお手伝いがしたい」との事で英会話に通っているとのこと。

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